呼吸が苦しいB.Bを抱いてあげなければと胸の中に抱きしめたのは、予想もしていなかった旅立ちの3時間前。
苦しかっただろうに、痛がっただろうに、胸に抱きよせると穏やかに微笑む。
Bの前では絶対に泣かないと決めていたけれど、ここ数日はBを抱きながら泣いてしまうことがほとんどでした。
この時もBを抱きながら「本当にありがとうね、いつもBは優しい子だったね。いつも一緒だからね」と語りかけ、呼吸も少し安定し穏やかな眠りに入りました。
その時の顔は赤ちゃんみたいに穏やかで、親友に「この顔を見れただけでも慰さめられ救われる」とメール。
チーズなら食べるかと買い物に出て戻ると、最後の力を振り絞り玄関の方へ頭を動かし、私がリビングに入ると起き上がろうともがきます。
散歩に行きたいの!とBの気持ちを理解したつもりです。
お散歩では頭を持ち上げる力もなかったBが、最後の散歩ではフラフラしながらも胸を張り、頭を持ち上げ、空気を一杯吸い込み笑っていました。
そして、旅立ち。
☆12月24日
九鬼先生、晶子先生、ありがとうございました。本日夕方に霊園にて火葬をして頂き、本当に旅立ちました。
犬友みなさんからお花を頂き、豪華な祭壇になり、そのお花をベッドにして火葬してもらいました。
亡くなってから一時身体は硬直しましたが、私がずっと左前脚を握っていたので、柔らかく。
身体もずっと撫でていたせいか、硬直しなかったのです。ずっと柔らかかったのです。
時間が経つ程に、もしかしたら?私が散歩に連れ出さなければ、私が安楽死のボタンを押したのかもしれない。
でも、Bは外に出た瞬間は喜んでいた。
真冬の寒さに地面に無理をして降ろしたから、抱き上げた瞬間に心臓停止と呼吸停止が起きたのかも。
もっと、ベンチでゆっくりしてあげれば良かった。
でも、家で発作が起きたら、触って声をかけてあげるしかできなく息を引き取ったはず。
散歩だったから、胸の中で見送ってあげれた。
でも、寒い外に出さなければ、もう2、3日生きていたかもと懺悔と後悔の念ばかりが堂々巡りしています。
Bが目を見開いた瞬間、声のない叫びの顔をまじかに見て、目に焼き付いています。
どんなに後悔のないように一緒に暮らしたとしても、小さな命。
健気すぎて、何度経験しても、これで良かったとは言えませんね。
先生が仰った「犬は自分の治療を自分では決めれず、飼い主次第」。
犬の人生も飼い主次第。
すごく責任のあることです。
もっと早く気づいてあげれたら~とまた後悔。
ただ、もっと一緒にいたかった。
この短い期間、最善の策をご提案して下さり、本当にありがとうございました。
Bも体力は落ちて、自分の死期を理解しながら、自然を感じお散歩を楽しむことが出来たと思います。ありがとうございました。
「joy動物病院」九鬼先生へ宛てたメールです。
*☆*〓〓Rika〓〓*☆*
*プロになる前の一般飼い主としての立場から2011年に書き留めた記事です。
人と愛犬の両方のQOL(生活の質)がより幸せを感じる『犬と暮らす』暮らし方をご提案したいと考えています。Rika