震災があった3月、B.Bの幼馴染のヨークシャテリアのハルが旅立ちました。
幼いころから一緒に散歩をし、ハルはヨークシャと思えない筋肉と度胸の強さを持ち、身体は小さいのに犬トラブルが始まるとクールに対応するリーダー格。それに対しBはクールを装いながら感情に流されるリーダー格でした。
そして10月、また幼馴染のゴールデン・レトリバーのギャロップが旅立ちました。二匹とも同じ血管肉腫でした。そしてB.Bも。
ハルの旅立ちから、花屋さんの看板犬ギャロップの最後の3か月間は、私はギャロップに予行練習をさせてもらっていたのかもしれません。
ギャロップが一回目の急変をし飼い主さん達の涙が止まらない時、ギャロップに「ありがとう」をたくさん伝えて、一緒に笑ってあげなきゃ」と言ったものです。
私はこの1か月弱、ギャロップの時に自らが言った言葉を、Bと語り合ってきました。
愛犬を亡くした多くの飼い主さんは後悔と悲しみがなかなか抜けませんよね。
私もその一人ですが、なぜ?動物の小さな命に心が残るのでしょう。
犬は私達人間に、愛情を教えるために遣わされたと前にも書きましたが、飼い主へ無償の愛を与えてくれる小さな命だからでしょうか。
Bは散歩をしながら、道行く人に笑顔をもたらしていました。
すれ違いにBの歩く姿を見ると「ふっ」と顔が緩み、笑顔になります。それを見ながら、Bは凄いな。と思ったものです。
なにかを与えようとしなくても、自身が喜び楽しんでいれば周りに優しさと愛を与えられる。
花は咲くだけで人を喜ばせ、見た人に笑顔をもたらす「笑施」。
今回、私は人様の優しさにとても助けられました。
前夜にBが旅立ったため、ベッドと祭壇にはお線香とお水と御塩を置いていましたが、お花までは気持ちがまわりませんでした。
23日の午前中から犬友さんがBに会いに来てくださり、お花を持ってきてくれます。
そしてギャロップの花屋さんに報告に行くと立派な花束を頂き、ちょうど買い物に来ていた近所の奥様もお花を包んでくださり、夜は私が何も食べていないのだろうとスープを持ってきてくれたり。
気づくとBの祭壇は立派なお花で溢れていました。お花って、こんなにも人を癒せるものだったと止まらない涙とともに改めて思った夜です。
状況を説明すると、友人の方が泣いてしまうので、しっかりしなくてはと冷静になり落ち着き始めます。
でも、一人になった瞬間に涙がとめどもなく溢れ出すのです。鼻セレブを1箱使い切りました。
そんな時にオーラソーマの心友が「行くね」と会いに来てくれ、ただただ、私が泣きながら話すことを1時間余り黙って聞いてくれ、落ち着きました。
もし近くに悲しみをもつ人が居ましたら、是非、一緒にいてあげてください。そして、何も言わずとも、話したいことを、思い出を、どれだけ愛していたか、後悔も懺悔も、聞いてあげてください。
聞いてもらえるだけで心の浄化になり、涙もお清めの御塩と一緒で塩分です。心のお清めと思い、十分に泣くことも大事です。
私は丸3日泣き続けたので、目の腫れが引くまでに3日かかりました。
人は一人では生きていけない。
人という字は、1人を1人が支えているのだそうです。
Bは沢山のお花に包まれお骨になりました。
そしてお散歩で会う方からは「元気をだしなさい。この子(Coo)がいるのだから」とお供えの御饅頭を頂きました。
Bの死から、Cooは呼吸困難を起こし、表情の変化と笑顔がなくなりました。
つづき『いつも一緒②☆16』
*プロになる前の一般飼い主としての立場から2011年に書き留めた記事です。
人と愛犬の両方のQOL(生活の質)がより幸せを感じる『犬と暮らす』暮らし方をご提案したいと考えています。Rika